特養看護師奮闘記
特別養護老人ホームにおける、利用者と看護師の日々の関わりを日記に綴りました。 笑いあり、涙あり、怒りあり。 読んで絶対後悔ナシの、感動のページです。 コメントもたくさんお待ちしています。
顎関節の修復!

昨日、出勤と同時にヒサさんのあごの状態が尋常ではなく、全く食べられないと言う報告を受けた。
ヒサさんを訪ねた。
大きな口を開けたまま寝ていた。
「ヒサさん、お早う!」
ヒサさんは何か言おうとしたが、口が動かない。
『完全にあごが外れている。』

急ぎ、懇意にしていただいている整形外科につれって貰った。
今までにも何度か整復してもらったことがある。
「整復しようと試みたが駄目だった。○○病院の口腔外科につれって行きなさい。紹介状を書きますから。」と医師から連絡を受けた。

ヒサさんの家族に連絡をとり、家族同伴の元○○病院に連れて行った。
整復した直後また外れてしまい、ヒサさんが施設に戻ったときには、あごから頭にかけてバンドをしていた。

「少しバンドを緩めて食べてもらったのですが、全く飲み込めません。」と言う報告を帰宅途中、連絡を受けた。
「じゃあ、明日までしっかり固定して明日出勤してからみますから。」そう答えた。

今日出勤してヒサさんの食事介助に行った。
ウイダーインゼリーは、時間は掛かるが飲み込めた。
半分飲ませて、朝食のパンを口に入れた。なかなか喉が通らず、ウイダーを入れた。
飲もうとするが、喉を越さない。涎ばかり出てくる。

『仕方ない、点滴でも・・・』そう考えてバンド固定を厳重にした。
そして、口の中の食べ物を掻き出そうとした。
と、その時ヒサさんが大口を開いて抵抗した。
同時にあごが外れた。

病院に電話を入れ状況を説明し、再度家族同伴で口腔外科に。
そこで整復してもらった直後、ヒサさんが声を出した途端また外れてしまったと言う。

施設に戻ったときには、昨日よりも強固に固定されていた。
月曜日再度受診し、手術に耐えられるかの検査をするそうだ。
すぐに絶食を始め同時に点滴を開始した。

元気のよいヒサさんは、昨日もそうだったが、今日はなおいっそうしょぼくれている。
医師によれば、あごの関節が緩んでしまっているらしい。
老人によくある現象だとも言う。
と言うことは、一種の『老化現象』と言うことなのだろうか!





計算された『死』!

3日ぶりの出勤。
出足からくじかれた。 JRの延着。 ついてない!

昨日、利用者の報告を受けていた。
ヨシオさんの熱が39度近くあると。
元々ヨシオさんには、重度の嚥下障害がある。
食事の最中でもむせ返ることが度々あった。
『きっと肺炎だろう』そう判断して、抗生剤を飲んでもらうようにお願いしたのだった。

出勤して耳に飛び込んできたのが、「早朝にヨシオさんが亡くなった』というものだった。
髭剃りに行った介護員に、「痰を取って」とヨシオさんが頼んで、吸引機を部屋に運び入れたときには、ヨシオさんの顔は既に真っ青に変貌していたと言う。
あっという間にヨシオさんは、介護員二人に見守られながら昇天したのだった。

そういえば、ちょうど1週間ぐらい前だったか、介護員から「ヨシオさんが朝食をパンにして欲しいといいますがいいでしょうか。」と相談をかけられた。
以前、ヨシオさんはパンを希望したり粥を希望したり二転三転したことがあった。
それから1年近く粥を食べていた。
ヨシオさんにすれば、久々の要望だった。
パンと言ってもそのままでは喉に詰まってしまうため、コーヒーに食パンを適当な大きさにちぎったものを浸して食べてもらうのだ。
今考えると、『死ぬ前の準備だった』のかもしれない。
そして、天涯孤独なヨシオさんは、自分の担当をしてくれている介護員に見守られながら逝ってしまったのだった。
これは、どう考えても『計算された死』だ!
    ヨシオさんのご冥福をお祈りする・・・

もう一つ。 早出の看護師からヒサさんを看てほしいと言われた。
あごがしまらないと言う。
これを書くには相当長くなるので、明日に持ち越すことにしよう。






打ち合わせ!

早朝メールが入った。
徐脈で一度は受診したものの、拒否に合い再度施設に戻ってきた利用者が亡くなったという報告だった。

私用で3日の休暇を頂いていたが、休みに入る前に家族に電話を入れておいたのが最後になった。
一度は、30そこそこだった脈拍が50近くまでになったこともあったが、水分だけで生きていたようなものだ。
食べさせても全て吐き出してしまい、どうしようもなかった。
受診の際、医師からは「あと1週間ぐらい」と言われていたのに、あれから3ヶ月経った。
見事!   と言うほかは無い。

7月末に開催される『近畿老人福祉施設研究協議会」において、ターミナルの事例のコメンテーター役をおおせつかっているため、本日拙宅に事務局の方が打ち合わせに来てくれた。
家のほうがゆっくり話せるので、私がお願いしたのだ。

明日は京都までいかれるらしい。
彼女曰く。
「やはり事前の打ち合わせって重要だと思う。以前は、書類だけで依頼してましたが、講師の方になんて失礼だったんだろうと、今はそう思ってるのですよ。」と。

私も彼女の考えに同感だ。
入所前面談に行くが、そこで家族と顔を合わせ、利用者の情報を頂くと同時に施設のことをいろいろ説明し相互理解を深める。
私はこの面接に少なくとも1時間取っている。
今後の付き合いにおいて、家族とうまくやっていけるかどうかがこの初回面談にかかっていると言っても過言ではない。

彼女の研究協議会にかける思いが強いからこそ、一人ひとりの講師との打ち合わせを、忙しい合間を縫ってしているのだろう。
何とか協議会を『成功』させたいと思っている。






生への執着に想う・・・

友人からメールが来た。
友人の所属するボランティアグループのメンバーの一人からのメールの転送だった。

「○○さんが『白血病』で余命が短いと言う宣告を受けていたが、『臍帯血』輸血を受けて完治した。 最先端医療でそれを実施した。 よって全国に最先端医療を作り誰でもどこでも治療を受けられるべく運動を起こさなくてはならない・・・」というような内容だった。

病気が治癒したのは真に喜ばしい。
これに対して誰も反論はしないだろう。
だがしかし、だから『最先端医療』の拡充をと言うのは私はいささか疑問がある。

そこで治療を受ければ全て『治癒』すると言う幻想がまかり通ってしまうのが怖いのだ。
「悪性リンパ腫」の最後の砦と『最先端医療センター』に入院したが、3年の闘病の果て、『腸穿孔』を起こして断末魔の苦しみを背負いながら亡くなっていった人を知っている。

人は持って産まれた『寿命』があると思うのだ。
今盛んに「臓器移植」のことが問題となっているが、私はこれこそ『神』への冒涜だと考えてういる。
以前、「貴女の子供が『臓器移植で助かる』と言われてもそれを望まないのか?」と問われたことがある。
その件に関しては、今も昔も考えは同じ。
私は決して望まない!





ややこしい『人間関係』!

今日、在宅訪問をしている事業所の管理者の人たちにお話を伺った。
事業所でそれぞれ抱えている問題は異なっているが、施設とは全く異なる課題が多いことだ。
けれど、共通していることもある。
職員の人間関係だ。

人が集まる所に必ず問題が生まれる。
自明の理だ。
生きている限り避けては通れない問題。
それは、人間関係。
家庭にだって通じることだ。

これ程関係性の薄い世の中になってしまっては、故に関係がこじれると収拾つかなくなる。
職場だと、それがためにバーンアウト・辞職・鬱などに追い込まれる。
これも『現代病』なのかもしれない。






疲れたよー!

今日の忙しさはただ事ではなかった。
1本早い電車に乗って遅出出勤。
理由は、先日介護員から提出された報告書において、関係するメンバーとともに再現をしたかったからだ。

それを終えたところに、約束していた家族の面談。
1時間ちょっと掛かった。
もう昼だった。

出勤したと単に急変者が2名。
チェックすべき項目を看護師に依頼しておく。
御昼ご飯を終えてすぐに、約束していたもう一人の家族面談。
と思いきや、急遽利用者の家族と出くわし、しょうがない1年ぶりの家族なので、かいつまんで利用者の現状をお話した。
さて、二組の家族面談を終えたが、記録する時間が無い。

昼食前に、今朝急に38度の熱を出し(聞けば昨日の夕飯も摂っていなかった)お昼になっても状態がおかしいと言うので見に行った。
顔色が悪く、声を掛けても生返事。
血糖測定(2食抜いているから低血糖の可能性が高い)
血糖248と異常な高さだ。
この人には糖尿病は無い。
『脱水だ!』
午後一番に生理食塩水を点滴してくれるように看護師に頼んだ。

午後5時。
一応仕事片付いた。
気になる利用者のラウンド。
点滴1本が終わった。
声を掛けると目を瞑ったままではあるが、返事を返してくれた。
熱も下がり血圧も落ち着いていた。
明日の朝にはたぶん復活しているだろう。
念のため、家族に今日の状態の報告の電話を入れておいた。

もう一人。
以前、徐脈で病院に行ったが、『ペースメーカー』の埋め込みを断られた利用者。
お昼は状態不安定で食べていない。
血圧は落ち着いている。
脈拍は相変わらず少ない。
酸素の取り込みが74%とすこぶる悪い。
おまけに顔色もよくないし、反応が鈍い。
熱も38度まで上がっている。
決して楽観できる状態ではない。
酸素3リットルを開始した。

家族に電話を入れ状態を報告した。
明日からどうするかだ。点滴をするとしても、心臓がへばってるために1本が限度だろう。
家族に相談をかけると、点滴をして欲しいと言う。
了解した。
ただし、明日までにも万が一のことがあるということを覚悟しておいて欲しいとも付け加えた。

明日から3日間、私は休みだ。
デスクに、明日やるべきことをメモしておいた。
兎に角、まこと疲れた一日だった!






直感!

夕飯を待っているキミさんと目が合った。
キミさんは、全く喋れない。手足も曲がったままだ。

何かを訴えているように思えた。
かすかに顔が赤い。
熱を測ると39度あった。

キミさんは嚥下状態が悪く、よく肺炎症状を起こす。
この日の胸の音は綺麗だった。
キミさんには「乳がん」があり、成長を続けている。
『もしや』と思い触ってみた。
熱い!  『この熱かもしれない』

食後寝かせるとき、その箇所を冷やして欲しいと介護員にお願いした。
その効果があったのか、翌日には熱が下がっていた。

微熱のあったハナコさんの検温をしようとした。
もともとハナコさんは、検温をとても嫌われる人だった。
このときは、私の手を全く違う箇所に持っていこうとした。
私は、いつものように検温を拒否しているのだと軽く受け流した。

時間を置いて再度検温に行った。
「ホギュ・・ヒェニュ・・・」何か言ってくれるが私には分らない。
体温計を支えている手をさっきと同じように、上腕のある箇所に誘導しようとする。
『何・・何・・』
何度も同じ仕草をするものだから、着衣の袖をまくった。

『あら!』
ハナコさんの上腕にブレスレットがはまっていた。
私はそれを手首まで下ろし、ハナコさんに見えるようにした。
「フヒャ・・フヒャ・・」ハナコさんは声を上げて笑い出した。

これがきっと気持ち悪くて、私の手をそこに持っていこうとしたのだろう。
そしてその原因が、娘さんがはめておいたブレスレットだと分り笑い出したのだろう。
ハナコさんは、とても痩せているので、車椅子への移乗介助の際に、上腕に移動したのだろう。

キミさんといい、ハナコさんといい、言葉によっての伝達がうまくいかない。
それゆえ、介護する私たちがその意図を汲み取らねばならないと言うことを、この二人から改めて教えられた。




親の逝かせ方・・・

今日、ショートステイ利用新規申し込みのお宅に面接に行った。
本人と長女が対応してくれた。
本人は95歳の女性。 長女一家と同居を始めて30年になるらしい。

今年の3月に高熱が続き、かかりつけ医に往診をしてもらっていた。
が、1週間経っても一向によくならず、ついには意識まで無くなり公立病院に救急搬送した。
病名は、「急性腎盂腎炎」とのことだった。
そして落ち着いた頃、民間病院に転院した。
そこを退院する日程が決まった。
ところが、その矢先急変。 「腸閉塞」を起こした。 再度、公立病院に逆戻り。
やっと家に帰ってきたのが、5月末だった。

それから他の施設のショートステイを利用したが、たった3日間でひどいオシメかぶれを起こしていたらしい。
施設側の言い分は、退所時点では何も無かったと。
長女は憤慨し、うちの施設にショート依頼をしてきたと言うわけだ。

情報提供書には、「認知症」があるとなっていたが、面接の限りにおいては年相応。
娘が言うには、入院中は両手を拘束されて自由を奪われたためか、幻覚・妄想などが起きていたらしい。
しかし、それも家に帰ってから徐々に落ち着いてきたと言う。

高齢な上に、今年になって何度も病気をしていることを考え合せると、3泊4日の施設利用であったとしても、何時急変があるかもしれない。
その際、大事をとって入院させるか、あるいは施設で対応することを希望されるかを尋ねた。
娘は、入院すれば全ての機能が落ちることは、このたびの入院で経験している。さりとて、自分では決めかねる様子が見て取れた。

「お母さんをどんな風にして逝かせてあげたいかですね。」と助言。
「苦しませないで自然に・・・」
「では、もう入院はせずに本人の力を応援してあげるくらいの治療でいいのでは。」
「そうですね。お任せいたします。」

それにしても、「腎盂腎炎」の際、何度も往診しながら、検尿もせずに血液検査もせずに済ませた馬鹿な医者には、ほとほとあきれ返る。
この年代の人(娘)は、人間の死を見たことがない人が多く、年寄りの症状に右往左往する人は少なくない。
挙句、慌てふためいてすぐに入院させてしまいたがる。

私は拙著『ダイ・サイレント』を読んでくれることを薦めた。
じっくり母親の「死」について考えてもらいたかったからだ。
娘は、「是非読ませていただく」と。
きっと自分なりの答えを見つけてくれるだろう!






質問状!

96歳になる利用者の家族から相談員宛にファクスが届いた。
孫娘(30歳過ぎ)からのものだ。
入所時面談の際お会いした人だ。
この人が、自宅で利用者つまりおじいさんの面倒を看ていた。
内容は以下のようなものだった。

日曜日に面会に行った際、おじいさんから聞いたことなど併せて、施設で検討をして欲しい。
・週に2回リハビリをしてくれていたが、その人にお礼をしないためかこのところしてくれない。
・入れ歯を4~5日はずしていたために随分痩せてしまった。
・自宅に歩行器があるので使わせてくれないか
等であった。

まず一番目にに関しては、リハビリ担当者が本人の意思を尊重して訓練をしているものであり、
実際3メートルほどの距離を車椅子で移動するにも、部屋が遠すぎると文句を言い、食事席に一番近い部屋を希望している状態で、リハビリは本人の欲求を満足させるためのなにものでもない。

二番目にに関しては、利用者の「入れ歯」は相当年季が入っており、欠けていた。それをそのまま装着し続けると歯茎に傷がつくために、歯科医の受診まで取り外していたのだ。体重減少は徐々に起こってきたものであり、この年齢にしては当然の現象だ。それより何より、このところ食べるスピードが落ちてきた方が気になるところだ。

 三番目に関しては、一体どれだけおじいさんのことを見ているのと言いたいところ。立つのもおぼつかない人に『歩行器』とは、以って非なるものだ。

相談員に、直接話を聞きに来て欲しいと伝えるように依頼した。
日曜日に面会に来られたとき、私とは挨拶を交わしている。
入所面談の際に会っている訳だし、何故そのときに聞かなかったのかと言いたい。
おまけに、この孫の面会はこの6ヶ月の間に2~3度しかきていない筈だ。
もっとしっかりおじいさんの現状を見てからにして欲しいものだ。




個性を掴むこと!

イサオさんが、また胸を痛がっていると言う報告が入った。
4~5日前、「胸が痛いからご飯いらない。」とイサオさんが言った。
脈拍も血圧も異常ない。 胸骨から左胸に賭けての痛みだった。
念のため心電図をとった。 異常は無い。

翌日も胸の痛みを訴えたと言うことで、看護師が心電図をとっていた(私は休み)
勿論、異常なし。
その翌日も同じような訴え。
どこが痛いのかを再度聞いた。
やはり同じ場所だ。
肋骨の下を念入りに押さえていくと、ある場所が痛んだ。
そこに湿布した。 しばらくして治ったと言う。

そして、数日たった今日もまた胸痛の訴え。
同じ場所だ。 
イサオさんは、施設に来る前の老健で『鬱』ということで沢山の『鎮静剤』を処方されていたことを思い出した。 今は全く飲んでいない。
「この場所だよね。」と言って私はしばらく軽く撫でた。
「これで大丈夫だから。」
たったそれだけ言って、イサオさんから離れた。
案の定、それっきり痛みを言わなくなり、何事も無く食事をされた。

タツさんが、足が痛いので昼食をいらないと言われてますという報告があった。
「タツさん、昨夜も食べなかったからお昼食べようよ。」
「足が痛いからこのまま寝てるわ。」とタツさん。

タツさんは、先日転倒した。
レントゲンを撮ったが、異常無しと言うことだった。
それからタツさんは、殆ど臥床生活を送っている。

「タツさん、食べないと息子さんに私が怒られる。 タツさんのことしっかり看ますと約束してるから。」と私。  私の常套句だ。
「かまわない。私が息子にうまく言っとくから。」
タツさんのほうが一枚上手だ。
「分った。兎に角痛いところを見せて。」
そう言って、大腿部を触った。
「痛い。痛いからここにいる。」とタツさん。
「薬を貼ってあげる。 30分で楽になるから。 楽になったらお昼食べようよ、約束!」と私。 介護員に頼んで湿布を貼ってもらった。
タツさんは笑ったままで返事してくれない。
「タツさん、分った。 返事して。」と私は強引に言う。
これも常套句。
「分った!」タツさんは返事を返してくれた。
もう一度「30分したら楽になるから。 楽になってたらご飯食べること!」そう言って部屋を出た。
昼食時、タツさんは食事席に着いていた。

お年寄りの相手は、難しくもあり簡単でもある!








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