特養看護師奮闘記
特別養護老人ホームにおける、利用者と看護師の日々の関わりを日記に綴りました。 笑いあり、涙あり、怒りあり。 読んで絶対後悔ナシの、感動のページです。 コメントもたくさんお待ちしています。
スーさんの半生!

スーさんの両手はリウマチのために握ったままの状態で開くことが出来ない。
スーさんの膝は曲がったままで、伸ばすことが出来ない。
今までは、その曲がった手に、自助スプーンを何とか握り、口を食器の端にもって行き食べることが出来た。
それももう限界かもしれない。
スーさんは、長い間ベッドに寝たことがない。
車椅子に座ったまま眠る。
おまけに、「前立腺肥大」のために膀胱留置カテーテルを入れたままだ。

スーさんの言ってることがますます聞き取れなくなってきた。
スーさんは短気だ。
だから、スーさんと話す時はけんか腰になる。

スーさんの膝を少しでも動かすと『ゴリゴリ』音がする。
そしてとても痛がる。
そんなスーさんの足に褥瘡が出来た。
褥瘡と言うより「潰瘍」といったほうがいいかもしれない。
1箇所が2箇所に増えた。

傷の交換する際、スーさんは大声を出す。
それもその筈、例えようもなく痛いことこの上ない。
おまけに親指が紫色になった。俗に言う『チアノーゼ』
これは、循環不全を起こしている証拠だ。
○○の薬を飲んでもらっている。
少しは足の『潰瘍』は良くなっている気はするが、指が壊死寸前。

午後、足浴した。
スーさん、大声。 私も負けていない。
足の裏に手を触れた時、今までにも増しての大声。
『エッ』・・・足の裏が紫色。  『ああ、だから・・・痛むんだ』

足浴を終えて、スーさんを自分の部屋に送った。
「アリガトよ」とスーさん。
処置の最中は、怒鳴り上げわめき、悪態をついていたが、部屋に入った時には感謝の言葉。
ああこれから、スーさんの足はどうなっていくのだろう。

若い頃酒びたりで「アルコール中毒」になり、娘を捨てた。
奔放な生き方をしてきた人だった。
その代償にしては、余りにも気の毒すぎる。
今までにもすーさんは何度か死にかけている。
道で行き倒れになったところを発見された。
施設入所してからでも、一度は「肝炎」で入院。
もう一度入院したことがあるが、理由は忘れた。
80歳のスーさん、あと何年苦しまなくちゃいけないのだろう!




セイさん、大往生!

セイさんが、亡くなったという訃報が午後届いた。
セイさんは、97歳だった。

「ご飯が食べられへんね。」と私に聞いた。
「それは、もう・・・97歳・・・歳やねえ。」と私。
セイさん、納得したように頷いた。
「アキ・・それから私の妻を呼んでくれ。」とセイさん。
『ああまた始まった』セイさんが家の人を呼んで欲しいというのは茶飯事だ。
「じゃあ、今日の午後か明日、セイさんを車椅子に乗せて電話機まで連れて行くから。」
セイさんは納得した。
これが23日の出来事だった。
『それにしても・・・妻を呼んでほしいというのは初めてだ。アキさんとはセイさんの孫で、セイさんの介護を引き受け、施設に来られるのもアキさんだった。今回妻に来て欲しいとは珍しい。』

翌日の24日。
「セイさんがすねてしまってご飯食べないわ。」と、昼食時ラウンドしていた看護師が言った。
「声も出さずにチラッと私達を見ただけで眼を瞑ってしまう。」
午後、セイさんを電話口に連れて行ってくれるように職員に依頼した。
「セイさんは耳が遠いので、私が家族にその旨伝えました。」と職員から報告があった。
「セイさん自身を連れて行って、途中で交代すればよかったのに。」と私。

24日の夕飯時。
「食事待機時に調子悪そうなので寝かせました。」と介護員。
少々血圧が低い。 脈拍も弱い。
「セイさん、昼も食べていないから食べよう。」と私。
セイさんは時計を指し、指で6の仕草。 次いで、7の仕草。
つまり今は6時だから7時に食べるというのだった。
いつもと同じだといっても聞き入れなかった。
介護員に7時に夕飯を食べてもらうように依頼した。

今日の状況を聞いた。
「朝、風呂に入り昼食を介助して食べてもらった直後・・亡くなった。」と言う。

何とあっけない死だろう。
妻に来て欲しいといったのは、セイさんに『予感』が働いたからだろうか。  
頑固で文句の多いセイさんだった。けど、憎めない人だった。
97歳で大往生、あっぱれな死に様だ!
       ーセイさんのご冥福をお祈りするー




中年の夢!

昨日、若者へ社会へー中年の夢を語るーと言うテーマで、中年と自己認識している人の発言の場があった。   時間は10分間。
私も発表者の一人に加えさせていただいた。

教職を退職してから何をしていいかと悶々とし、まあ聞いていると20種類程の違った世界を覗き、腹話術でボランティアをしている女性。

台湾から日本に来て25年。 日本をあちこちして神戸には5年前に来た女性。
夫は日本人。 いわれなき差別を受けたらしいが、持ち前の明るさと前向きな姿勢で今では、講演活動をしているらしい。

箪笥には『嫁入り道具』として持ってきた着物。 着付け教室を皮切りに歴史を学ぶうち着物文化に触れ、着物の伝承を志している女性。

フルマラソンに生きがいを見つけ出した男性。

『鉛筆画』のとりこになり見事な『絵』を披露してくれた男性。
聞けば、1枚を仕上げるのに3日間を要するらしい。
自分のイメージを映し出しているという。

ロープ3本を使い、マジックまがいの演技。施設などを訪問しているらしい。

皆生き生きとしている。
どの人も今回の話されたこと意外に、いくつもの趣味や活動などされている。
私にしてみれば、『驚き』いがいの何物でもなかった。

聴衆は、発表者と主催者以外には・・・発表者の身内だけ。
○○市の後援。
なんとも寂しい限り。
いま、税金の使途で喧々諤々いている最中。

確かに参加者は、殆どの人が満足だったと感想を述べているが・・・
会場費・参加者への謝礼(極わずかではあるが)
そう考えると、『税金の無駄』とも思えなくは無い。

奔放に『ボランティア』『趣味』など中年で可能なのは、きっと世の中「平和」なんだと思う。
参加者の年齢を考えると、年金もまあまあ頂き、『趣味』をかねての人助け。
というものが多いように感じた。

なんだかだといっても、いまの日本は『平和』で『豊か』な証拠だと思う。
食べるのに困っていれば、『ボランティア』などという悠長なことはやってられないはずだから・・・
などつらつら考えるkomurinなのだ!






連帯感!

ツヤさんとミドリさんが、なにやら話している。
そこに割り込みたくなった。
「あのねえ、この看護婦さんが会いに来てくれたとき、色々聞かれるものだから、私つっけんどんにしてしもうたの。悪いことしてん。息子にあとで色々きいて・・・本間にいまは感謝してるんや。」と、ツヤさんに話した。
ツヤさん、分ったようにうんうんと頷いている。

「ミドリさん、この人はねえ(ツヤさんのこと)色々助けてくれてるんよ。お絞り配ってくれたり、テーブルを拭いてくれたり、亡くなられた人を利用者代表で見送ってくれたり・・」
みどりさん、うんうんと聞いている。
ツヤさんは、照れ笑いをして「いえ・・いえ・・」などと謙遜している。
けど、嬉しそう。

「ツヤさん、この人はねえ(ミドリさんのこと)、車椅子だけど、お部屋の人の面倒をよく見てくれてるのよ。」
ツヤさん、「ほほう!」といつものように大げさな身振り。
ミドリさんは、まんざらでもない顔をしている。
褒めてもらって嬉しくない人はいないのだ。
認知症であろうと無かろうと・・・

「○○さん、まだ来ない。どうかしたのか?」と、スエノさんが聞いてきた。
昼食がもう直というのに、テーブル席に着いていない○○さんを心配しているのだ。
スエノさんは、「部屋に帰ってもいい?」と、食事中であるにも拘わらず、何度となく聞いてくる。
そのスエノさんから、他の人を思いやる気持ちを聞いたのは初めてだ。

利用者は、何時も同じテーブルで、同じ利用者と食事を共にする。
そのことで、同じテーブル席の人同士の連帯感が生まれるのだろう。
同じテーブル席で、喧嘩になったりもすることは少なくない。
けれど、よく考えると身内同士という感情が芽生えたから、喧嘩にもなるのだろう。

入所までは他人。
けれど、入所後、同じテーブルで同じも物を食べることで、知らず知らずに連帯感が生まれ、思いやりの心が芽生えるのかもしれない。




『伝統医学』講座を終えて!

10月から始まった「伝統医学講座」が、本日で終了した。
受講者は50名位だろうか。
「漢方」「鍼灸」「アーユルベーダ」「薬膳」等結構面白く拝聴した。

受講生の平均年齢は65歳くらいだろうか。
私はまだ若い方だと思う。
今までの質問内容から察するに、ここに集まっている人たちは、西洋医学に見切りをつけた人たちが多いように思う。

先日モデルになった人は、なんと84歳。
まだ学習しようと言うのだから頭が下がる。
ただ、年齢の高い婦人は、「空気を読む」ことが出来ない人が多い。
マイクを握ったら最後、一人で質問を次々と・・
『あんた一人でそんなに喋ったら時間がたってしまうよー』
なんどそう思ったことか。

平日の講座だから若者が少ないのか。
あるいは、「伝統医学」と言うものなどには古臭くて興味が無いのだろうか。
いずれにせよ質の高い講座であった。






たらいまわし!

アンさんは、ショートステイを利用されていた方で、昨年に本入所となった。
アンさんは、年齢93歳。 重度の「認知症」がある。
おまけに「心臓疾患」をかかえているために、ショート利用中でもよく胸が痛いといっては、ニトロペン(狭心症の薬)を何度か服用したことがある。
ところが、入所してからは1年経とうとしているのに、まだ1度も発作を起こしていない。

アンさんは、3女と住んでいた。
3女の夫は、内科医で診療所を経営しているため、3女はその手伝いに行くために、アンさんの介護は主にお手伝いさんが、引き受けていた。

2ヶ月ほど前に、アンさんの親指に1箇所針の頭ほどの褥瘡が出来た。
1箇所が2箇所になり、ついに3箇所に穴が空いた。
勿論、私達は放っておいたわけではない。

懸命に処置をしてもいっこうに良くならない。
それもその筈、3箇所が皮膚の下で繋がっていたのだ。
これじゃあいくら薬を塗っても、良くなる筈はない。
心臓疾患を持ち高齢であるため、循環不全になっているのだ。

○○病院の外科に行った。
対処のしようがないといわれた。入院をお願いしたが断られた。
一体私達にどうしろと言うのだ。
××病院の外科に行くべく手筈を整えた。
そうしておいて、状況を3女に伝えるべく電話を入れた。
夫(内科医)が出た。 状況を詳しく話した。
「循環が悪いということでしょう。**病院の血管外科の部長当てに紹介状を書いてもらってくれ。」こういってゆずらない。

○○病院の医師にお願いして紹介状を書いていただいた。
そしてそれを持って**病院に今日受診した。
家族も同伴した。
診察を終え、家族には何の説明もなく○○病院の医師宛に返事を貰っただけだった。
これじゃあ、一体アンさんが今後どうしてよいのか皆目分らない。

返事の入っている封筒を開封した。
「足の循環はそれ程悪くない。足湯をして処置をしてください。」というものであった。
何と言うことだ。 
ここ数日で、アンさんの傷は一気に悪化し、骨まで見えるようになったというのに。

○○病院に明日返事を持って行く予定にしているが、たぶんそのまま帰されるだろう。
3女に来ていただいて、もし施設で対応しなくてはならなくなった場合、『感染』を起こし、最悪の場合『切断』ということになるかもしれないことの了解を頂いた。

夫(内科医)の指示がなければ、××病院の外科で診察を受けられ、入院できていたかもしれないのだ。
3女は入所に当たって、『看取り』まで施設でお願いしたいという意思表示をしていた。
「今後、貴女の夫には余り口出しをしないで頂きたい。アンさんの状態を一番良く把握しているのは私たちなのですから。出来るだけアンさんを苦しまずに対処しようと頑張っているのですから。」厳しいことを言っていると、自分でも思う。

が、93歳のアンさんを思うと、たとえ医者であろうと、私は言うべきことははっきり言わないといけないと思っている。






マコさんの言動の意味は・・・

先日、看護学校の元同僚のマコさんと9年ぶりに会った。
マコさんは、現在も教員をしている。
マコさんは、『わが道を行く』人であるために、他の教員からの評判は良くなかった。
私も、あの人はああいう人なんだと思っていた。

マコさんは、双子で生まれた。
マコさんは、現在双子の妹とも両親とも一切付き合いが無い。
マコさんは、家を出たくて全寮制の看護学校に入学した。

マコさんは、医師と結婚した。
二人目の子供が産まれてつかの間、夫が自殺した。
遺書は無かった。 自殺理由は全く分らなかった。
その時でさえ、親や妹は全く手を差し伸べてくれなかった。

マコさんは、高校生の頃父親に首を絞めて殺されかかったという。
母親は何時も、大声で彼女を怒鳴り散らしていたという。

彼女の担任するクラスの中に、大声を出す生徒がいるらしい。
彼女はそれを聞くたびに嫌悪感が走るという。
決してその学生を嫌いではないのだが、どうしてもその大声に反応してしまうという。

波乱万丈の人生を生きてきた人だと始めって知った。
彼女の『わが道を行く』という姿勢がなんとなく分ったような気がする。
そうしないと生きて来れなかったのだと思う。
その人の『言動』の意味を知らなければ、その人を分ったことにはならないというjことを改めて教えられた気がする。






モリタさんを偲んで・・・

今日、日曜日にて家族の面会が沢山あった。
4名の家族さんとの面談。

先日亡くなられたモリタさん夫人と娘夫婦がわざわざ挨拶に来てくれた。
モリタさんは肘の「骨折」で手術を受けたが、「肺炎」に罹り、退院してきた時には劇的にレヴェルが落ちていたことは、以前書いた。
しかし、退院当日の遅出で、入院前のモリタさんの姿が見られたこと、亡くなる前日に入浴していただき豊かな笑みを見られたことなどを直接お伝えした。

「施設で看取っていただき感謝しているのですよ。おまけにスタッフが沢山御見送りくださって・・・感謝だけです。」と言って頂いた。
この言葉をスタッフに必ず伝えさせていただくことを約束した。

「私も週に2度ほどデイサービスに通います。いずれ私も施設のお世話にならないといけませんから、つながりを持っていたいのです。」と夫人。
モリタさん夫人は、両方の「膝関節炎」のために、膝を曲げて歩くことは出来ない。

一人娘は結婚して家を出ている。
不自由な体で、一人頑張っている。
ギリギリまでデイサービスを利用しながら、在宅で頑張るという。
「ご縁です。ギブアップ寸前には言ってくださいね。看取りをさせていただきますから。」と言う私の冗談に、「ぜひお願いしますよ」と夫人。

『ああ・・・歳をとるということは・・・』
私もいずれこんな時期がやってくるのだろうか・・・そう考えずにはいられなくなった。






常に問われる判断力!

今日、午後から出かける予定にしていたが、気持ちが乗らずにキャンセル。
まあ、私の性格としては必ず出なけりゃならない時は別として、その日になってドタキャンすることのほうが多い。
自分への言い訳としては、『今日くらい静養しないと・・インフルエンザ予防のためにも休養大事』ということで落ち着く。

午前9時過ぎだったか、施設から電話が入った。
「ケンさんの熱は、相変わらず38度ぐらいから下がらないんですがどうしましょう。」
「まあ、39度を超えるようなら○○をうってあげて。食事は吐かれるのを覚悟で食べてもらいましょう。」
ケンさんのことは以前書いたが、「心不全」「脳梗塞」それもかなり重度だ。
2ヶ月くらい前にやっと状態が改善したのにまただ。

「ヤスさんの熱は微熱が続いています。喘鳴もありますが・・」
「ここ数日殆ど水分は入っていないと思う。点滴1000cc入れてあげたらどうかな。」
ヤスさんは、老健から『ターミナルの人』ということで引き受けた人だ。
これといって病気は無いが、食事は高カロリーの飲み物だけ。
それに3度の食事はパン。 けれどパンも食べないことのほうが多い。

夕方再度、看護師から電話が入った。
「ケンさん食事を殆ど食べません。ヤスさん、酸素の取り込みは78%なので酸素吸入しています。喘鳴もひどくなっています」
「ケンさんは、そのまま様子見て。ヤスさんは、点滴の中に○○を入れてくれるかな。呼吸が楽になると思う。それから、家族(身よりは確か姪だったはず)に一応状態だけ報告してくれるかな。明日、私出勤だから・・・」そう依頼した。

この時期、利用者が次々と体調を崩すのがうちの施設のジンクス。
受けて立つしかない。
月曜日から3日間、私は休みを貰っている。
「携帯繋がるようにしておいてよ。」 看護師たちからそう頼まれている。
『しゃあないなあ・・・でも今の事態は気になることは確かだ』






認知症加えて全盲!

午後から新入所者の面接に行った。
場所は○○老人保健施設(精神科)だった。
家族として、利用者の息子が対応してくれた。

利用者は、20代頃に「網膜剥離」で片方の目を失明。
同時期に、喧嘩の仲裁に入りそのとばっちりで顔面を殴打され、もう片方の目を失明。
全盲となった。
そして、全盲の女性と結婚。  一男一女をもうけた。
「あなた達兄妹随分苦労されたのじゃあありませんか。 両親が眼が見えないのでは?」と私は長男に聞いた。
「ええ・・・でもおじやら叔母がかなり協力して私達を育ててくれたようです。」

約10年前から父親を長男夫婦が介護し、母親を看護師である長女が介護するようになった。
5年前、利用者(父親)が「痙攣」の大発作を起こし入院。
それまでは曲がりなりにも歩けていたのが、退院する際には歩けなくなっていた。
また、入院まではかろうじて会話が成り立っていたが、退院後は意志の疎通が取れなくなっていた。

昨年の9月に、現在入所している老健への入所が決まった。
ここでは、「痙攣」発作はあるものの極軽いもので大発作は起きていないらしい。
「退院からこの施設に来るまではまるで『生き地獄』のようでした。」と息子。
老健で、「アルツハイマー型認知症」の診断が下った。

状況から押してかなり重度の「認知症」と推察された。
「認知症も重度になれば、いえ最終段階では物が飲み込みにくくなります。またお父さんの場合、「痙攣」というリスクを抱えています。特養では夜半看護師がいません。また日中においても殆ど医師がいません。お父さんが急変された時どうしますか。つまり、是が非でも『命の保障を』と言う考えなのか、あるいは『施設対応で自然なままで最期まで』という考えなのかを兄妹で統一しておいてください。でなければ、あなた方と施設のすれ違いが起これば大変ですから。」
「分りました。明日『法事』なので妹と相談して返事します。」

利用者は、日中殆ど車椅子生活。両膝の拘縮のため立つことも出来ない。認知症のため自分の意思をうまく伝えられない。加えて全盲。
この利用者にとって生きていることにどんな意味があるのだろう。
入所となった時の大きな課題を突きつけられた。







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